東京地方裁判所 昭和62年(ワ)8887号 判決 1988年1月29日
原告
株式会社千石
被告
深町悦子
主文
一 別紙交通事故目録記載の交通事故に関し、原告の被告に対する損害賠償債務は二〇〇万円を超えては存在しないことを確認する。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
一 原告(請求の趣旨)
主文と同旨
二 被告の答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
別紙交通事故目録記載の交通事故(以下「本件事故」という)が発生し、原告は右事故により受傷した被告に対し損害賠償責任を負うところ、右賠償額は二〇〇万円を超えるものではないにもかかわらず、被告は右をはるかに超える高額の賠償額を主張して争うので、請求の趣旨記載の裁判を求める。
二 被告の認否
別紙交通事故目録記載の本件事故が発生したこと、原告が損害賠償責任を負うことは認めるが、被告の損害額が二〇〇万円を超えないとの主張は否認する。
三 被告の主張
1 被告は、昭和五八年四月一五日印刷会社である有限会社創貴(以下「創貴」という)を設立し、順調に業績を伸ばしていたところ、本件事故のため身体の状況が悪化し、出社もままならぬところとなり、借入金も増し、赤字を出すようになり、被告の進退問題にまで発展した。被告の身体状況は、今日に至るも全快の見通しが立たない悲観的な状態である。
2 右の次第であつて、被告の被つた損害総額は一億八四三二万円に達し、その内訳は次のとおりである。
(一) 創貴の損害 八五七万円
(二) 代表者としての損害 一〇〇〇万円
(三) 退職後の保障 七五〇〇万円
(1) 四六歳から六五歳まで 四八〇〇万円
20万円(月収)×12月×20年=4800万円
(2) 六六歳から八〇歳まで 二七〇〇万円
15万円×12月×15年=2700万円
なお、右算定式中の二〇万円、一五万円は、現在の月額収入である。
(四) 治療費 二一〇〇万円
昭和六〇年六月二二日から現在まで
(五) 通院交通費 五二五万円
昭和六〇年六月二二日から現在まで(15万円×35月)
(六) 慰藉料 六四五〇万円
四 原告の認否
すべて不知ないし争う。
第三証拠
証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。
理由
一 事故の態様、受傷の程度と原告の責任
請求原因事実中本件事故の発生及び原告がこれにより受傷したことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、成立に争いのない甲二ないし一三号証(二、一三号証は原本の存在とも)、被告本人尋問の結果(後記措信しない部分を除く)及び弁論の全趣旨を総合すると、被告が被告車の後部座席に乗車し本件交差点の東京都中央卸売市場側の交差道路入口に先頭車両として停止していたところ、原告車が右交差道路反対側から本件交差点に進入し、減速はしたものの左側交差道路の安全を怠つたため折りから進入の米本車と衝突した上、逸走して被告車にほぼ前面から衝突したこと、被告車の運転者には受傷の事実はなく、助手席同乗者に若干の通院の事実が側聞されるのに対し、被告は事故の日から村澤病院(診断名頸椎捻挫、左下肢打撲症。被告は事故の態様を追突である旨述べ、村澤医師はこれを前提に診断している)を皮切りに、江東病院(同・頸椎捻挫)、城東カイロプラクテイツククリニツク(同・頸椎捻挫、腰部捻挫)及び東京原宿病院(同・頸部胸部挫傷)に順次又は併行して通院し、右通院は本件口頭弁論終結時(昭和六二年一二月四日)においてもなお継続していること、この間の治療内容は介達牽引、ポリネツクによる頸部固定等もあるが、理学療法(電気療法)の繰り返しが主であること、ところでその症状をみるに、被告は事故後の当初肩こり、頭痛、嘔吐感、上肢の放散痛、しびれ、腰部の疼痛を訴えていたが昭和六〇年一〇月ころにはおおむね右症状の訴えが消失しつつあつたところ、そのころ本件事故の示談交渉が行きづまる事態が生じ、再び右症状の発生を訴えるようになり、その後は右状態が一進一退し、この間右症状のほか偏頭痛、肩甲痛、悪心、めまい等を訴えていること、しかしながら、前記医師らの診断によるも、本件事故直後ころ頸椎の運動制限及び筋緊張の所見がみられるほかは、レントゲン撮影による骨の変性その他の他覚的異常所見は一切みられず、医師は日常生活、仕事(創貴における稼働)を続ける上で格別の支障はない旨被告に話していることがうかがわれること、被告は昭和一六年七月六日生れで本件事故当時満四二歳で、昭和五二年前後ころ胃潰瘍の手術を受け、また、そのころ離婚している(現在私立音楽大学に通わせている長女のほか一名の子と生活している)こと、本件事故後は前記症状のほかにも生理の異常、内臓疾患、貧血、白血球の減少、リユーマチ反応、帯状疱疹等の諸症状を呈し医師の治療を受けていること等の諸事実が認められ、被告本人尋問の結果中右認定に抵触する部分は措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
以上の事実によれば、被告の訴える症状はそのほとんどが心因的影響に強く左右される性質のものであるか又は外傷性の原因以外の原因(内臓疾患等)によつて生じる性質のものであつて、これらをすべて本件事故に起因するものと認めることは困難といわざるを得ない。すると、前記認定の本件事故の態様、他の同乗者らへの影響、被告の病歴、性質・性向、医師の診断内容、主訴に係る症状の推移等を通してみれば、本件事故による受傷の有無、内容・程度に関する被告の立証は極めてあいまいなものであり、何がしかの頸部等の捻挫、打撲等を被つたとしてもその程度は単にこれを的確に把握し得ないというにとどまらず、むしろさしたるものではなかつたものと推認されるのであつて、右受傷の影響は本件事故から四か月(昭和六〇年一〇月末まで)を超えて認めることは困難であり、また、右の間の影響の程度も日常生活や就業に明確な支障を来たしたものと認める資料もない(診断書の記載と異なり、被告の当審における供述によれば昭和六〇年秋ころから症状が悪化し、仕事に障害が生じた旨述べているなど判然としない)ものといわざるを得ない。
したがつて、原告が被告の人身損害について賠償責任を負う(右責任自体は原告の自認するところである)範囲は、昭和六〇年一〇月末までを限度とするものといわなければならない。
二 損害
被告は、その主張(2)のとおり損害を主張するところ、そのうち創貴(被告の経営する印刷会社)の損害の主張はこれが被告の損害となる理由が明らかでない上損害の発生自体立証がなく失当であり、また、役員(代表者)としての休業損害及び退職後の逸失利益を求めるものと思われる部分は、弁論の全趣旨により成立を認める乙一号証、三号証及び被告本人尋問の結果によるも、その基礎となる収入及び休業、退職の事実ないしは休業、退職の事実があるとしても本件事故との相当因果関係があることを認めるには足りず、他にこれらを認めるに足りる証拠はなく、いずれも理由のない失当なものといわざるを得ない。すると、前記一認定、説示に照らし、被告が本件事故により被つた損害は、事故後四か月間の治療費及び通院に要した諸費用並びに右の間における日常生活及び就業への若干の支障をも考慮した慰藉料にとどまるものといわざるを得ない。
そこで、検討するのに、前掲甲八ないし一三号証及び弁論の全趣旨によれば、昭和六〇年一〇月末までの治療費、交通費は二〇万円を超えるものではないと推認され、右認定に反する証拠はない。また、右の間の被告の慰藉料は七〇万円程度と認めるのが相当である。すると、右損害総額は九〇万円というべきところ、仮に被告の就業への影響、日常生活への支障等について慰藉料等を更に被告に有利にしんしやくしても、本件証拠関係の下では、総じて二〇〇万円を超えて本件事故による損害を認めることはできないものといわざるを得ない。なお、成立に争いのない甲一五号証によれば、原告は既に治療費、交通費として合計一〇三万七八二〇円を支払い右費用に関して過払の状態にある。
三 よつて、原告の本訴請求はすべて理由があるから認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 藤村啓)
交通事故目録
一 日時 昭和六〇年六月二二日午後三時二五分ころ
二 場所 東京都江戸川区臨海町三―四先路上交差点(以下「本件交差点」という)
三 原告車 普通貨物自動車(足立四六す一五六、以下「原告車」という)
所有者 原告
運転者 訴外熊谷深
四 被告車 普通乗用自動車(足立五八ま一一二二、以下「被告車」という)
運転者 訴外沢井康祐
同乗者 被告
五 態様 本件交差点において、原告車が左方から進行してきた訴外米本恭士運転の普通乗用自動車(以下「米本車」という)に衝突した後本件交通事故現場付近の青果市場から出るべく停車中の被告車に衝突した。